アニメ「いぬやしき」感想@ひつじ [ひつじレポ]
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こんにちは!ひつじです(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾
アニメ「いぬやしき」を一気に観ていたら、こんな時間になってしまいました。
突然ですが皆さん、いぬやしき知ってますか???
主人公はまさかのこの人、この“おじいさん”
家庭でも社会でも邪険にされる存在、さえないサラリーマン犬屋敷壱郎が、とあるきっかけで機械の人間になってしまう・・・
自分は人間ではない、自分はなんのために生きているのか・・・
そんな不安や孤独と戦いながら、次々と生じる問題に立ち向かっていく。SFアクション漫画です。
でも、私にとっては、なんかもう、ヒューマンドラマでした。
泣きました。それはもう泣きました。今も涙が止まりません。
機械の人間になる、、、やりすぎ都市伝説でおなじみのミスター都市伝説関暁夫が「トランスヒューマニズム」という単語をしきりに使って話していますよね。
人間はそのうち、機械との融合を果たし、永遠の命を手に入れる・・・
そんな未来がもうすぐそこまで迫ってきているのかもしれません。
※この都市伝説についてはペガサスくんが詳しいのでそのうちブログに書くと思いますw
考察サイトなんて無数に存在すると思いますが、そういったサイトに書いてある意見等は一切見ずに、自分の考えを書いていこうと思います。
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永遠の命なんて、欲しいものなのでしょうか。
ネタバレなので詳しくは書きませんが、アニメ11話で犬屋敷壱郎が息子に言ったあのセリフ、頭から離れません。
人間はこれからどこへ向かうのか。
何をしようとしているのか。
そんなことを考えさせられるアニメでした。
そして、生まれ持った“人間性”や“性善説”について考えざるを得ませんでした。
作中に「悪役」として登場する高校生、獅子神晧(ヒロ)は「自分の家族や友達以外の存在なんて、別に死んでもどうでもいい」と言います。
私はその言葉に共感してしまいます。
現に、いま世界では戦争が起こっていて、毎日死んでいる人がいることを、なんとなくは知っています。
日本でも、東日本大震災や熊本地震により犠牲者が何万人も出ていることを知っています。
なのに、私は毎日ふつうに暮らしています。
朝起きて、仕事へ行って、帰ってペガサスくんとご飯を食べて、一緒に寝て。そんな日常を繰り返しています。
少し自分のことを書きます。
私にも家族を失った経験はあります。
心の底から絶望し、打ちひしがれた経験もあります。
でも、自分に直接関わらない人たちの安否を、犬屋敷壱郎のように、心から慈しむことができるでしょうか。
私にはきっとできないな、と思います。
どちらかというと、私はヒロ側の人間なのかもしれません。
_____家族が死んだとき、お葬式に参列してくれた人々に頭を下げながら「この人たちは明日から日常を暮らすんだろう。普通に笑って暮らすんだろう」と心のどこかで思っていました。
羨ましくもあり、ひがみのような怒りのような気持ちでもありました。
私にとっては死ぬまで忘れられない、とても悲惨な経験だけど、この人たちにとってはただ「あの人死んだね」くらいの出来事なんだろう、と。
______きっと、震災で家族を失った人たちも、戦争で恋人を失った人たちも、きっと同じ気持ちを味わっているのでしょう。
そんなことまで経験しておきながら、やっぱり私は「自分に関わる人間以外はどうでもいい」という考えを持ってしまっていたのです。
そのことに、このアニメ「いぬやしき」を観たことで、気づかされました。
きっとこの考え方は簡単には変えられません。
でも、ペガサスくんは、犬屋敷壱郎のような行動を取る人間だと思います。
バカップルと思われるかもしれないけど、そういう人です。
だから一緒にいるんだな、と思います。
ヒロのように、世界を終わらせないために。
人を慈しむ心を持てるように。
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Amazonプライムで全話見られます。
ご興味ある方は見てみてください。
感想を教えてもらえたらうれしいなと思います。
どうか「トランスヒューマニズム」の時代が到来し、人間が永遠の命を手に入れたとしても、人を慈しむ心を持った人間が、いなくなりませんように。
間違っても、人の不幸を画面越しに見ながら「ざまぁw」とか言うような、そんな心の貧しい人たちの世界になりませんように。
そんな人たちの世界になってしまったら、きっとヒロのような人間が神になって、この世界を終わらせにくるのかもしれません。
そんな日が来ないことを祈って、今日は寝ます。
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